ハスをもう少し

 小倉池のハスをもう少し。見ごろはもう少し、と少し前に書きましたが、まだまだ続いています。9月に入っても大丈夫かもしれません。
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水面が鏡のようになっています。

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 こちらは水面下の茎などが少し見えています。PLフィルターは使っていませんが、写す角度の違いで、写るものが違ってきます。水面から花がちょこっと顔を出しています。この花、はじめ睡蓮かなと思いましたが、やはりハスですね。
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 ここからは余計な話題。お暇ならどうぞ。


〇デニッシュたい焼きの話

 私は私である――この命題にはいろいろな解釈が可能です。とても面白いと思っています。「私」という存在は生まれた時から、子ども時代、学校時代、働いている時代をへて現在まで連綿と(ずーッと)続いている。そういう確かな実感がありますね。昨日の私と今日の私がまったく別人である、そう感じている人は少ないでしょう。実感のない人は病気です(たぶん。離人症とか多重人格…?)。私が私であるという確かな実感=自己意識があってこそ私たちは静かに日常を過ごすことができます。

 しかし、実は「私」は1人ではありません。ここで言いたいのは「私」はいつも「私」ではないだろう、ということです。「私」は1人ではなく複数存在しています。理屈で説明しようとするとわかりにくいので、1つだけ例を挙げておきましょう。
 思考実験(?)をしてみましょう。
 あなたは高校生です。期末試験の1週間前で部活動がお休みになりました。学校で授業を受けながら、今晩は頑張って勉強しようと決心しています(そのわりに授業中はボンヤリしていたりするのですが)。家に帰りました。夕飯を食べてお風呂にも入りました。準備万端、さあ、勉強するぞ! と思いたいところですが、なんだかやる気がわきません。そんな時に、チンっ、LINEが来ました。誰? 友人から、今何してる、みたいなどうでもいい内容。一応返信をしておきます。「勉強、頑張ろうね~」。返信を終えた私ですが、やる気はどこかへ行ってしまいました。というか始めからありませんでした。
 寝る前に考えます。明日は頑張ろう!
 設定はうまく伝わったでしょうか。勉強しようと考えている自分と、明日頑張ろうと先送りする自分。どちらが本当の「私」でしょうか。ここで少なくとも「私」は2人いることになります。(こんなふうに考えていくと「私」は「私」の中にいっぱいいることになります)

 さて、前置きが長くなりました。こんなことを考えたのにはきっかけがありました。高速で京都から流山に向かっているときのことです。ちょっとお腹がすいたので土山SAに入りました。ラーメンがなかなかおいしかったです。小食の私でも完食できました。ラーメンは麺だけなら十分食べられますね。スープは無理しない程度の分量をすする。

 食べ終えて車に向かって歩いていると、屋台が売れ残った商品を安売りしています。夕方5時過ぎのことです。「デニッシュたい焼き」240円が100円。「デニッシュスティック」180円が100円です。全品100円と表示がありました。ホントに240円が100円になるの? ずいぶんお得です。私は見まちがいではないかと心配になりました。
 小さな行列ができています。ラーメンを食べた後なのですぐには食べられません。ですが、これだけ値下がりしていると、買わなければ損、という気がしてきます。私はまずスティックメープルなるものを欲しいと思いました。けれど、たい焼きのほうが値引き率が大きい。どうしようか? 思案のしどころです。ですが、その時の私はほとんど迷いませんでした。順番を待ちながら、決めました。欲しいなら両方! 2つ買って明日の朝食べよう! 2つとも買いました。(翌日、朝にたい焼き、お昼にスティックをいただきました。)
 長々と書きましたが、安売りのデニッシュを2つ嬉々として購入したという次第です。

 あとで私は考えました。なんで、たい焼きを買ったんだろう? 私はたい焼きが食べたかったのか? 食べたかったのはスティックメープルではなかったのか? そもそも、ラーメンを食べたばかりで、別にスティックメープルが食べたいというわけでもなかったのではないか?
 100円に値引きされていなければ、どちらも買わなかったでしょう。たい焼き240円? 高すぎでしょう。私の中ではたい焼きは100円。150円くらいまでなら、まだ許容ですが、それをかなりオーバーしています。
 私は食べたいのではなく、得をしたかったのでしょうか? お腹がいっぱいなのにデニッシュが欲しいなと思い、デニッシュの中でも、食べたいスティックよりも値引き率の大きいたい焼きの方に、より魅力を感じていました。

 普通の考えでは「~すべき」というのがあって、「~したい」というのがあります。勉強しなければならないんだけど、眠い、LINEが気になる……ホントは勉強しなければならないんだけど、できない、そういった矛盾(2つの「私」)が対立しています。しかし、「~すべき」と「~したい」だけが自分の中にあるわけではありません。そもそも、「~したい」という存在さえもはっきりしないという事態が私に現れていたのです。

 「私」はいつも自分が思っている「私」ではない(だけではない)と改めて実感した出来事でした。
 「私」についてふだんから考えている人はこう言うかもしれません。自分で自分を思い通りにできると思っていたらオオマチガイ。思い通りにならないのが人間だよ(ダメな自分から目を背けてはいけない)。

 勉強しようと思ってもできない「私」。今日しなければとわかっているけれど、先送りにしてしまう「私」。お腹がすいているわけでもないのに、安い! と思うとそれを見過ごすことのできない「私」。(東出昌大が離婚したそうです。わかっているけれど、思い通りにならなかった「私」というのを、彼は深く理解しているのではないかと思います。)

 おしまいまで読んでいただき、ありがとうございました。




by oitopontes | 2020-08-24 06:10 | | Comments(0)

No photo,no life ―― ときどき写真を撮る以外には何もしていません。四季折々の京都の風景・お祭りなどを撮影しています。たまに、スポーツも撮ります。ということで対象はバラバラ、何でも撮ります。。。


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