修学院離宮とは
2021年 10月 24日
○修学院離宮とは
修学院離宮は後水尾上皇(ごみずのお・じょうこう)が江戸時代の初めに建てた別荘です。万治2年(1659年)完成。後水尾上皇(天皇)は歴史の本でもときどきその名前を見かけます。昭和天皇がその記録を抜きますが、それまでは歴代の天皇の中で一番長生きした天皇でした(1596年~1680年)。長生きすればいいことがあるというわけでしょうか。安土桃山時代からの流れを引く文化を後に伝えることになりました。
修学院離宮は、下離宮、中離宮、上離宮の3つの部分に分かれています。それぞれの建物は松並木で結ばれています。修学院離宮の敷地はとても広くて、USJ(ユニバーサルジャパン)と同じくらいの広さがあるそうです。松並木からは棚田や畑が見えて、敷地の中に1つの村があるといった印象です。ものすごく田舎に来た感じがするので驚かされます。 修学院離宮の一部の土地は敗戦後の農地解放の際に、地元の農家に下げ渡されたのですが(天皇家も不在地主です)、現在は宮内庁(国)が買い戻して国の財産となっています。土地は国のものとなりましたが、田植えや稲刈りは、もともとの農家の人たちが行っています。ちなみに、桂離宮もいったんは土地を手放しますが、のちに買い戻しています。ツアーの最初に訪れるのは下離宮(しもりきゅう)です。ここが本来の入り口ですが、迂回して反対側から入ります。襖の絵を描いたのは岸駒(がんぐ)という人です。画題は「虎渓三笑」となっています。虎の絵ではないですね。虎渓というところで、三人の仙人風のひとが笑っている、という意味かと思います。部屋の右側には段差があります。一番上の段に後水尾上皇がお座りになったということですが、本当かな? そこにいたのでは、外の景色が見えません。でもまあ、臣下の礼を受ける時にはひな壇の一番上に座るしかなかったのかもしれません。
by oitopontes
| 2021-10-24 06:25
| 京都
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